2013年12月12日木曜日
あそぶ子ども
最近思うのですが、わたしの中ではアートセラピーは何かを解決したり、何か気づいたり、何かのきっかけを与えてくれるものではないのです。
PCAと表現アートセラピーとアートセラピー全般について何年か学んできて、自分にとってはそうだなぁ〜と感じるようになりました。…なんかね、あそんでるの、あそんでる感じです。
わたしはひとりであそぶ子どもでした。だれかとあそぶにはかなりの覚悟が必要で、だれかの顔色をうかがってあそぶのがイヤだった。なんかイザコザをおこして、小学校3〜4年のときにまるまる1年間、学校の休み時間に誰ともあそばなかったので親が呼ばれた経験があります。…おそらく変わった子どもでした。家には大人もたくさん、姉も弟もいたから、あまりさびしくなかったのかも知れないけど。さびしいという気持ちも無く、いわゆる社会性のないガキでした。(いまでもか?)
あそびってただ楽しいだけじゃないでしょ?しゅ〜とう〜な(?)準備も必要だし、そのさなかのひらめきとか瞬発力も必要だし、めんどうくさいこともやらにゃあならんし…。
中高くらいからまんが読んで、まんが描いたり、絵描いたりして、大学で芝居みたいなのやったりして、それもあそびだとしたら(イヤ、あそびなんだが( ̄□ ̄;))同人誌つくったりさぁ、サークル入ったり、わたしは少し大人になりながら、あそびの中で、やっと人とかかわることができるようになってきたのかな?っと思うのです。
PCA表現アートセラピーでは、解釈や評価は無いとあるけど、外的なものももちろんそうだけど、そうであればあるほど自己の中の解釈と評価にギョっとすることが多いです。…なにやってるんだ?あたし?ってさ、あるあるある!!でしょ?それをね、最近自分の中の勝手なドキドキとしてとらえることができるようになった。ええ〜〜?そうくるか、じぶん、んじゃコレしたろう!コレはどうじゃい!とかね。ちょっと意味不明ですが。うん。
人間はそんなシンプルじゃないです。いいこともあれば、ダメダメなこともある、安定した毎日もあるけど、突然の災害もあるし、別れもある、表面に出てない感情も盛り沢山でパラドシカルで複雑。
まあ、わたしも大人なので、大人の事情もあるし、そんないつもあそんでるつもりはないのですが、時間をかけて練習してたのかもしれません。大人になってもあそべるんだってことを、真剣にあそぶことで、まわりの人とかかわっていけそうじゃんって。
みんなももっとあそぶ練習をしたらいいのに、アートや趣味とか習い事とか仕事の中にそれを見つけられる人もいるけど。もっともっと真剣にあそぼうよ!わたしはまじめにそう考えます。
まんが「よつばと!」の中のせりふ、「きょうはなにしてあそぶ?」
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